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進化医学からみた図書「最高の体調」は現代のヨガスートラ

ヨガ講師育成トレーナー、

リブウェルインスティテュートのKenです。

今日はサイエンスライターの鈴木祐氏の「最高の体調」という書籍に関して気づいた点に関してお話しします。

この本は、進化医学に基づいた本です。進化医学とは健康を進化医学のアプローチから考えた書籍です。進化論をベースにしながら人間の病気の正体を考えていく学問です。この本の中で言われているように現代の人類の基礎が形作られたのは今からおよそ700万年前で人類は基本的には狩猟採集生活に適した形で進化しているということです。つまり自然の中で獲物を追い、太陽の運行と共に暮らし、小数の仲間と語り合う。ヒトの脳と身体は、そんな環境の中でこそ最高のパフォーマンスを発揮するように進化してきたという考えです。この考えは医学博士ジョンJ. レイティ氏の著書「GO WILD 野生の体を取り戻せ!」で書かれてる内容と同じ考えに基づいています。つまりヒトをコントロールしているOS(オペレーションシステム)は過去から一切変化していないという考えです。ヒトOSは1のままなのです。OSのソフトが初代の古いままであるならハードを変えても不具合が起こります。機械ならそれが故障、ヒトなら病気となるわけです。現代の生活様式とそもそものヒトのOSのズレを正すことが病気をなくし、健康な生活を送る秘訣というわけです。古代の生活と現代の生活には3パターンのミスマッチがると書かれています。

1、多すぎる  現代で豊富すぎるもの   カロリー、満腹感、人口密度

2、少なすぎる  現代で少なすぎるもの  睡眠、自然との触れ合い、筋肉を使う運動

3、新しすぎる  近代になって現れたもの  トランス脂肪酸、孤独、抗生物質、デジタルデバイス

つまり上記のものを少しでも取り除けば健康になるわけです。

この本の中で面白いことが書かれています。古代人は先ほど書いたように生活の基盤が狩猟生活です。したがって簡単に言えばそのその日暮らしで「未来」という概念がありません。毎日同じように行動し、生活するだけで明日の計画を立てて動くようなことはありません。狩猟採集民の時間感覚は最大でも1日が上限で、あとは同じタイムワークの繰り返し繰り返しでした。未来を意識しだしたのは農耕時代になってからで、それまではあくまでも現在に神経を集中することが得意な動物でした。未来を考えることは不得手で、未来を考えることが不安に繋がってしまうわけです。つまり不安を取り除くには現在に神経を集中すればよいわけです。ここまでくればおわかりのように、ヨガの経典「ヨガスートラ」との繋がりが見えてきますよね。

ヨガスートラの最初の1文は、「ヨガは今である」と書かれています。つまり心の不安を取り除くには現在に集中することが大切と言っているわけで、このことは人類の原点をまさしく言い当てていたわけです。

ヨガスートラでは2つ目に「ヨガは心の揺らぎを鎮めること」と書かれていて、そのためには「アビヤーサ(執着)」と「ヴァイラーギャ(離欲)」が必要と言っています。また、ヨガスートラではクリア(行動の)ヨガの重要性を第2章で説いていてそれは、タパス(熱を起こすこと)、スヴァディアーヤ(自己探求)、イーシュヴァラプラニダーナ(畏敬)の3つを行えば悟りが開ける、至福を得ることができるという教えです。ヨガが今を重視することから「ヨガスートラ」「最高の体調」に共通点を見出した私は、以上のヨガスートラの記述を頭に入れながらさらに「最高の体調」を読み進めていくと2冊にはさらなる共通点があることを見出したのです。

ヒトは「死ぬ」ということに対する恐怖を古代から抱いています。ここで、古代の狩猟採集民の死生観をみてましょう。「最高の体調」によると狩猟採取民は「輪廻転生」つまり「ヒトは生まれ変わる」という観念が存在し、死んだ者は精霊の国でしばらく暮らしてから別の命として生まれ変わると信じていたようで、死に対する不安も現代人のようには大きくはなかったようです。つまりある意味では狩猟採集民はヨガでいうところの究極の目的、解脱、悟りを開いていたようです。未来を思わない古代人は死に対する不安も超えることができていましたが、一方現代人はいつ訪れるかもわからない「遠い死の予感」に対して無意識の不安を募らせます。長期間の未来的な不安にヒトは慣れていないので不安からの病気が引き起こされます。「最高の体調」にはこれに対応するために2つのキーワードで、できる範囲で死への不安を減らしていくことが現実的だと書かれています。その2つとは、「畏敬」と「観察」です。

ここでヨガスートラと結びつきます。畏敬とは大きなものに結びつくことで自己を手放すことで「ヴァイラーギャ(離欲)」と捉えることができます。一方で観察とは自分をマインドフルに見続けることでこれは「アビヤーサ(執着)」と考えることができます。「畏敬」と「観察」を「ヴァイラーギャ(離欲)」と「アビヤーサ(執着)」と捉えることでそれぞれが2面性の両極端であることに気づきます。「ヴァイラーギャ(離欲)」と「アビヤーサ(執着)」は相反する概念でしたが、今回のことで「畏敬」と「観察」も両面性であることに気づけました。「畏敬」は偉大ものに身を任せること、「観察」は自分を気がつく意識をもって繊細に自分を見続けることです。ハタヨガではアライメントの原則やカタに合わせてポーズをとることに没頭することです。ヨガスートラではこの2つは前述したようにクリアヨガのスヴァディアーヤ(自己探求)、イーシュヴァラプラニダーナ(畏敬)と繋がります。つまり、「最高の体調」で言われている不安を取り除く方策はヨガスートラの不安を取り除く方法とまさしく合致するわけです。

ところでクリアヨガにはもうひとつ、「タパス」という熱を作り出すことの必要性が説かれています。これを本書に見いだすことができるでしょうか。

はい!

やはり書かれていました。

「タパス」は熱を作り出すことで簡単に言えば汗を掻くこと、つまり運動です。その運動もかなりキツイ運動のことをいいます。汗が出る程度以上なので。狩猟摂取民は1日に75分の中高強度身体活動を行っていたようで現代先進国平均の14.8倍だそうです。このことによって古代人はコレストロールや炎症に悩むことがなかったようです。著書「GO WILD」でも現代人に必要なのは古代人が毎日行っていて現代人が行っていない運動、「ダッシュ!」を推奨しています。つまりここでも、キツイ運動で汗を掻く必要があることが論じられているのです。

「最高に体調」によるとキツイ運動には脳と体の繋がりを取り戻す働きがあると書かれています。人間のストレス対策システムは、脳から臓器への連絡がスムーズでないとうまく働かないので運動をして脳神経と体を繋ぐことが重要なのです。

以上のことから「最高の体調」で現代人の健康に大切とされる「畏敬」「観察」「キツイ運動」がクリアヨガの3つに繋がっていることがわかります。まさしく図書「最高の体調」は現代版ヨガスートラと言えるもので、逆に言えばヨガスートラという2000年近くも前に書かれていたことがらが科学によって証明されたとも言えると思います。

シュリダイヴァヨガのBOWSPRINGはマインドフルにカタを踏襲して体を動かすキツイ目のエクササイズです。自分をカタを通じて観察し、汗を掻く運動です。そういう意味では現代人の不安を取り除き、健康を手に入れる運動の一つと位置づけられます。

意識ぜずに、何も考えないでスポーツクラブでテレビや雑誌を見ながらの運動は古代人の運動とはかけ離れています。これではせっかくの運動も意味を持ちません。是非皆さんもマインドフルネスな自分への観察を伴うエクササイズを継続してやり続け、本来のヒトとしての機能を取り戻し、健康を維持してください!

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