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ヨガの先生としての心構え

つま先を上げて開いて立て!と教わった方も多いと思います。

ではなぜそうするのでしょうか。

それは足の前面の筋肉を活性化させるメリットがあります。一方で、つま先を上げることは股関節を堅くすることに繋がります。

日本の文化、能や、歌舞伎、相撲、武術、僧侶、忍者などは決してつま先を上げることはありません。つま先を開いて上げることはないのです。

一般に欧米人だけがつま先を上げます。

ヨガでは、1970年代にアイアンガー先生がつま先を上げて開くようにと教えました。その後その教えが世界中に広がりました。足の前側を強くして膝を守ることが目的でした。しかし、足の背面には焦点が当たっていませんでした。 このことはバランスが良いとは言えません。 現代においても各先生がこのことを教えたので全ての生徒もそれを見習い、逆に自分が先生になったときもそのように足先を上げるように教えています。 私たちは先生を尊敬し、先生について行かなくてはなりません。しかし、その教えに問題が起きたなら疑問視しなくてはなりません。 問題が現れるには時間が掛かることが多いです。

例えば白米を食べるとして、少しぐらい食べ過ぎても翌日に急激に太るということはありません。しかしながら毎日続けていれば数年経つと、相撲取りのように太ってしまいます。問題は何年も経たないとわからないということにあります。

つま先を上げずに身体を動かすと、足の前面と背面の両方に力がつくのです。つま先を床に押して、踵を蹴り上げるようにすると足に背面が強くなり、股関節が楽になります。踵で歩かずに、やさしくつま先を上げずに歩くと股関節に問題は起こりません。欧米ではアイアンガーヨガやアヌサラヨガを学んでいる人に股関節の問題を抱えている人が多いですがこれはつま先を上げて開くという教えによるものが原因です。

踵は自転車のキックスタンドのようなもので身体を支えるものではないのです。着地のために作られたものではありません。 踵の骨はスポンジのようなもの。固い骨ではないのです。身体の中でも最も穴のあいている骨です。よく考えればわかりますが、なぜ身体の最も低い部分に一番穴のあいているもろい骨があるのでしょうか。つまり着地用にできていないのです。重たい重心を掛けるようにはできていません。踵は軽くなくてはいけません。 実際に立ってみましょう。 踵に重心を掛けて尾骨を恥骨にすくい入れて立ってみると居心地が良い。問題はありませんよね。では踵を浮かせて膝を曲げて歩くとどうでしょう?軽く感じられると思います。

これが違いです。では、どちらが正確でしょうか。どうやって正解を見極めたらよいでしょうか。

初心者は時には回答がわかりません。したがって先生の言うままにやるしかありません。経験のある人の言うことについて行くしかない。その先生の言うことを信じるだけです。なぜなら、当初、初心者は何もわからないからです。その先生を信頼するしかありません。しかし残念ながらその生徒を導く先生が道を見失うこともあります。これは危険なことですが。したがって、生徒は先生をいつでも注意深くチェックしなくてはいけません。生徒は経験を積めば積むほど、新しいものに対してオープンな気持ちをもって学んでいかなくてはなりません。

偉大なる師たちは必ず質問を投げかけ続けています。常に疑問を抱き続けています。自分がわかっているとは思いません。いつでも初心者の気持ちを持ち続けなければいけません。それはとても慎ましい、謙虚なものです。

私たちは練習をしなくてはいけません。そして、時間を掛けてその教えを観察する必要があります。練習によって改善されているかいないかを。改善されずに、痛みが増すならば、健康でなくなっているならば、幸福度が下がるなら、自分の道のりを観察し直す必要があります。そして権威ある人に疑問を投げかける必要があります。

盲目的に先生の言うことに追随してはいけません。

しかし、両面性が大切でもあります。 まず第一次的に先生を尊敬しなくてはなりません。その先生が歩んだ道のりを称えるべきです。一方で先生に対して疑問を持ち続けることも大切なのです。そして自分自身が変化に対してオープンでなくてはなりません。 往々にして身体に悪いこと、つまり踵をつけて歩くことや、肩甲骨を寄せて前面だけの胸を開くということは短時間なら気持ちが良いものです。しかし、長期間でみると身体を害します。時間を掛けて観察すればわかることなのです。ただしそれには時間が掛かります。

常に初心を忘れずに、謙虚な気持ちで自分自身が変化し続けることが良い先生になるためには必要なのです。

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