テレビ番組である名医を特集していました。その先生の親も医者だったようで親からよく「やぶ医者になれ!」と言われていたそうです。
調べてみると
「やぶ医者」の語源には諸説あり、一つは「野巫医(やぶい)」から来ているというもの。
野巫とは田舎の巫女のことで、医術より呪術を使う怪しい医者、ということから「やぶ医者」という言葉が生まれたという説です。
また、貧しくてはやらない医者は、高価な薬を仕入れることができないため、藪の中から草や根を採ってきていい加減な調剤をすることから「藪医者」という言葉が生まれたとする説もあります。
どちらも本当のようでもあり、単なる俗説のようでもありますね。
しかし、実は「やぶ医者」の語源には、もう一つの説があります。
松尾芭蕉の弟子だった森川許六が編んだ『風俗文選』によると、もともと「やぶ医者」とは腕の悪い医者のことではなく、但馬国(現在の兵庫県北部)の養父(やぶ)にいた名医のことを指す言葉だったそうです。
その名医は「死んだ人間をもよみがえらせる」とまで言われ、さらには治療で得た糧を貧しい人への薬代にするという人格もあって多くの人に慕われていました。
しかし、あまりに高くなりすぎた評判のせいか便乗する偽物が続出、「養父から来た医者」を自称して商売を始めてしまったといいます。
そして、本来は名医の代名詞だった「養父医者」のブランドは失墜、逆に腕の悪い医者を指す言葉になってしまったのです。
いずれしても「やぶ医者」は悪いイメージのものですが、話を戻してそのテレビの名医はなぜ「やぶ医者になれ!」と親から言われたのかということに関して次のように語っていました。
「不治の病であっても、やぶの中から治療の可能性の光が漏れて来ている。いかに困難に立ち向かっても医者は諦めずにその藪から漏れてくる可能性の光に目を当てて治療に当たるべきだ」というものです。 その名医も親からのこの言葉を忘れずに日々治療にあたっているそうです。
素晴らしい言葉で感動を覚えました。
このことはヨガの講師でも同じことが言えます。
ヨガでは先生のことをサンスクリット語でGURU(グル)と言います。
GUは「暗闇」を表し、RUは「取り除くこと」を表します。つまり先生とは「生徒の暗闇を取り除いてくれる人」=「悪癖や癖、思い込みを取り除いて本来の自己の可能性や良さに気づかせてくれる人」のことです。
ヒンズー教では人は本来「善」であると考えます。
人は本来、健康で美しく可能性に満ち溢れています。 何でもできるスーパーマンなのですが、思考や習慣、思い込みなどが邪魔をしてその可能性を見失っているだけだと考えます。
ヨガ講師の役割は2つあります。
1つはその闇の部分や間違いに気づかせてあげる鏡の役割。悪い部分を言う人ですね。
もう1つは前述の「やぶ医者」同様、藪からの可能性の光に気づかせてあげる、またはその光を見出すことです。
我々講師はともすると悪い方だけを言いすぎて生徒の気持ちを落としてしまう傾向にあります。やる気を無くさせてしまうことがあります。
間違いに気づかせる一方で、本来の美点を見い出す、善を発掘する、長所を見つける、褒めることを忘れていけません。
このことはきっと、私自身にいっていることかもしれませんね(苦笑)。。
ヨガ講師も名講師になりたければ「やぶ医者になれ!」です。
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